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MARTIN BRAUN 【マーティン・ブラウン】 現在ドイツを代表する時計師の一人MARTIN BRAUN(マーティン・ブラウン)は、1964年ドイツのカルスルッフェで彫金師の息子として生まれました。フォルツハイムの時計学校を首席で卒業、その卒業の際1792年〜1806年頃のカレンダーシステムを応用して、日付・ムーンフェイズ・均時差表示付きの複雑なテーブルクロックを製作しました。この事は主席卒業ということ以上に周囲に彼の尋常ならざる才能を印象付けたことは云うまでもありません。 |
1991年にマイスターウォッチメーカーの資格を取得し、1998年「マーティン・ブラウン」ブランドの時計製造会社を設立しました。若くしてブランドのオーナーとなった彼でしたがドイツでは一流のアンティークウォッチの修復家としての名声も高く、時計学校の講師としても活躍しています。若き鬼才の時計師とも称される彼は、ヨーロッパにおける時計技術賞、デザイン賞、そしてドイツ時計界の栄誉であるゴールデンルー最優秀デザイン賞など、欧州における数々の高名な賞を受賞しています。
マーティン・ブラウンは幼いころから宇宙というものの壮大さや、未知なる神秘性に大きな興味を持っていました。特に衛星が楕円に回る軌跡や他の星とのかかわり方などの不思議は、彼の宇宙に対するロマンを果てしなく広げてゆきます。マーティン・ブラウンの時計製作の根底にはふたつの源流が存在しています。それは、卒業制作にも組み込んだエクエーションなど天文学に対する探究心と、ヴィンテージウォッチの修復で技術を磨いていた頃に生じたルネサンス様式への強い憧憬にあります。
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その彼がこの未知なる宇宙への憧れを、自らの満ち溢れる才能で完成させた作品がバーゼルワールド2001で発表した『EOS』(イオス)でした。
太陽の通る軌道と地球の公転軌道との関係は、地球の自転軸の傾によって微妙に変化します。古くから誰でも常識として知っているこの事実を、彼の鋭敏な時計作りの情熱は見逃しませんでした。この自然の事象から開発され、この地球の傾きによる変化を機構に取り入れるために1年で2回転するプラネットギアと地球の傾きを、歯数計算されたより小さなギアをセッティング搭載することで、1年間で1周する太陽の楕円軌道と地球の傾斜を見事に計算しつくしました。これによってイオスという小さな宇宙が完成し「日の出」や「日の入」の時刻を正確に表示することを可能にしました。 |
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彼の宇宙に対する畏敬は、さらなる表現を追い求めています。それが「ザ・ヘリオセントリック」でした。この機構には太陽を巡る地球が、太陽系の公軌道上のどこにいるかを表示する時計で、壮大な宇宙を文字盤に表現したなんともロマン溢れる作品であり、さらにダイアルには星座を表示する「ゾディアック・インジケーター」までもが加わるという、超複雑機構を作品として世に送り出しました。
これまでも壮大な宇宙という視点から創作活動を行ってきたマーティン・ブラウンが、フランク・ミュラー・ウォッチランド社と共に歩み始めるのは、彼のほとばしる才能を更なる高次元の可能性へと昇華し続ける決意に他なりません。
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